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作業療法士
小川 雅弘
〇高陽中央病院(回復期・訪問リハビリ)、JA尾道総合病院(急性期)で作業療法士として12年間勤務した後、2017年に妻の病気を期に自費リハビリ「かなえるリハビリ」を起業。2012年ボバース上級講習会受講。自費リハビリを運営する傍らセミナー講師、外部講師として療法士や看護師へリハビリ・介助技術を啓蒙している。
独立までの経緯
私は社会人経験を経て2007年から作業療法士として働きはじめました。
当初はリハビリの技術を磨くことが生きがいで、毎週のように勉強会に参加をしていました。
一つの節目に思っていたボバース上級講習会を受講した年、娘を授かったことで転機を迎えます。
妻が病気を持っていたこともあり、地元で子育てをするため職場を変わることにしました。
再就職してからの一年間は、元の職場へ外部講師として関わりながら、新しい職場に慣れていきました。
翌年の外部講師の契約終了後、一人の患者様から
「三原市に行くから以前のようにリハビリをしてもらえないか?」
という提案をいただき、それをどうすれば実現できるかを考えるようになります。
その当時は起業という考えはなく、必要としてくれる方を大事にしたいという思いで、週末に実家の一室で自費リハビリを開始しました。
口コミだけで利用される方がどんどん増え、実家のトイレの前や駐車場で待ってもらうという状態になりました。
このままでは来てくれている方に申し訳ないと思い、会社員でありながら自宅兼店舗になる物件を購入します。
しかし新居に住みはじめて10日後、妻がスーパーの駐車場で倒れ、勤務先の病院に運ばれて来ます。
診断名は脳出血(左被殻出血)、すぐに開頭外減圧と血種除去手術になりました。

翌日からのリハビリ担当は私です。
この日から仕事に育児、妻の付き添いなど今では懐かしいぐらいハードな日々を過ごしました。
妻は2ヶ月後に退院しますが、 軽い失語と失行、記憶力や注意力の低下があり、自宅に帰ったときは最低限の身の回りのことができる程度でした。
私が仕事に行っている間は、妻の母親に付き添ってもらっていましたが、何もすることなく一日を過ごしていました。
一緒に仕事ができれば妻も生きがいが持てると思い、妻が退院して1年後に自費リハビリを本業にすることに決めました。
おかげさまで妻は仕事や家事などできることが少しずつ増えています。
これからも夫婦で困っている方のお役に立てればと思います。