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作業療法士
小川 雅弘
かなえるりはびり|かなえるリハビリスクール
〇高陽中央病院(回復期・訪問リハビリ)、JA尾道総合病院(急性期)で作業療法士として12年間勤務した後、2017年に妻の病気を期に自費リハビリ「かなえるリハビリ」で独立。自費リハビリを運営する傍らセミナー講師、外部講師などでセラピストの育成に関わり、2020年にセラピストの個別指導塾「かなえるリハビリスクール」を開設。臨床で悩むセラピストへ結果につながる関節可動域訓練を啓蒙している。
独立までのお話
私は社会人経験を経て2007年から作業療法士として働きはじめました。
当時は自分の技術を磨くことに一生懸命で
- ボバースコンセプト
- 認知神経リハビリテーション
など様々な勉強会に参加をしていました。
一つの節目に思っていたボバース上級講習会を受講した年、娘を授かったことで転機を迎えます。
妻が病気を持っていたこともあり、地元で子育てをするため職場を変わることにしました。
再就職してからの一年間は元の職場へ外部講師として関わりながら、新しい職場にも慣れていきました。
翌年の外部講師の契約終了後、一人の患者様から
「三原市に行くから以前のようにリハビリをしてもらえないか?」
との提案をいただき、それをどうすれば実現できるかを考えるようになります。
その当時は起業したいというよりも、必要としてくれる方を大事にしたいという思いで、自費でのリハビリを週末に実家の一室で開始しました。
※当時は賃貸マンションで生活
口コミだけで利用される方がどんどん増え、実家のトイレの前で待ってもらったり、実家の駐車場で待ってもらったりという状態になりました。
このままでは来てくれている方に申し訳ないという思いから、会社員であることを忘れ、自宅兼店舗になる物件を探しはじめます。
探しはじめて3ヶ月後、運命を感じるようなイメージ通りの物件と出会い…即決で購入。
購入してからは、家族との新居での楽しい生活、利用してくれる方が喜んでくれることばかりを考えていましたが…
新居に住みはじめて10日後の昼休憩中…
妻が勤務先の病院へ救急車で運ばれて来ました!
スーパーの駐車場に車を止め、車の中で倒れていたそうようで、当時2歳の娘も一緒でした。
診断名は脳出血(左被殻出血)、広範囲ですぐに開頭外減圧と血種除去手術になりました。
翌日からリハビリ担当は私です。
この日から仕事に育児、妻の付き添いなど今では懐かしいぐらいのハードな日々が始まりました。
周囲から反対はありましたが、今後の介護と子育ての両立を考え、偶然やっていた週末の仕事を本業にしていくことに決めました。
妻の方はリハビリ目的での転院はせず自宅療養をすることに決め、2ヶ月後に退院しました。
幸いにも麻痺はありませんでしたが、軽い失語と失行、記憶力や注意力の低下があり、自宅に帰ったときは最低限の身の回りのことができる程度。
失語により娘ともお互いに距離がある状態が数ヶ月続きました。
私が仕事に行っているときは妻の母親に付き添ってもらっていましたが、特に何もせず一日を過ごしている状態。
一緒に仕事ができれば妻も役割が持てると思い、早めの退職を決意します。
妻のリハビリや準備などで退院してから1年後に開業することができました。
開業した当初は、週3日病院でアルバイトをしながら少しずつ仕事を増やしました。
現在は周りの方に助けられながら、妻とともに自宅での仕事に専念できています。
妻は仕事を手伝いながらできることが増え、子育てや家事がある程度できるようになりました。
今思い返すととても充実した日々でした…
作業療法士としても。